続ければ人生――初代女流名人・蛸島彰子女流六段と将棋界の現在
この人の半生は、いずれ映画やドラマで取り上げられないだろうか?
将棋の初代女流名人・蛸島彰子女流六段(79歳)は私にとって、そんなことを思わせる偉人である。現在の女流棋界の隆盛は、蛸島さんという偉大なパイオニアの功績を抜きに語ることはできない。
2017年、蛸島さんは引退を表明した。イベントの席上で、蛸島さんは次のように語っていた。
「『続ければ人生』と私はよく言います。本当にいい人生でした。本当に将棋をやっていてよかった。幸せなことだと思っています」
(2018年2月16日、松本博文撮影)
蛸島さんは2018年2月16日、71歳のときに最後の対局を終え、長い競技生活に自ら終止符を打った。 以後は東京都内でアマチュアの方向けの将棋教室を続けるなど、将棋界の発展に貢献を続けている。
将棋界では肩書、段位の表記はそのときどきによって変わってくる。「蛸島さん」という呼び方は、私のような若輩者からすると、どうも違和感がある。しかし「蛸島先生」と呼ぶと、蛸島女流六段からは「先生はやめて」と言われてしまう。プライベートではともかくオフィシャルな場で、取材をする側が取材対象を「先生」と呼ぶのもよくないのだろう。本稿では失礼して「蛸島さん」という表記で統一させてもらう。
将棋界では「棋士」と「女流棋士」が存在する。
現在、よく知られた人の名を挙げれば、藤井聡太六冠(23歳)や伊藤匠二冠(23歳)、羽生善治九段(55歳)などは棋士。福間香奈女流六冠(33歳)や西山朋佳女流二冠(30歳)などは女流棋士だ。
女流棋士の制度は1974年に発足した。そこで初代の女流名人となったのが蛸島さんだ。
棋士の養成機関である奨励会を勝ち抜いて四段に昇段すれば、晴れて棋士に昇格する。
1961年、女性として奨励会に初めて入ったのが蛸島さんだった。蛸島さんは初段まで進んだところで退会した。時を経て、後進の福間さん(結婚前の旧姓では里見さん)、西山さんは三段にまで進むにまで至った。
2020年3月。西山さんは難関の三段リーグで白星を重ね、最終戦の結果次第では四段に昇段できるという可能性があった。蛸島さんは東京の将棋会館に出かけ、ひっそりと応援をしていた。
西山さんはこの日、2連勝した。最終18回戦では伊藤三段(現二冠)に勝っている。
のちに伊藤さんにこのときのことを尋ねてみた。「自分も当然勝つつもりで、やってはいたんですけど。豪腕で押し切られたという印象ですね」と苦笑していた。
西山三段は最終的に14勝4敗という好成績をあげた。しかし同成績の谷合廣紀三段、服部慎一郎三段には順位の差で及ばず。上位2つの枠には惜しくも入れず、次点に終わった。
「残念! これで上がれないなんて!」
蛸島さんはわが事のように悔しがっていた。
そして現在に至るまで、女性で奨励会を抜けた人は、まだいない。
現在では奨励会のほかに「棋士編入試験」という制度が設けられている。棋士が出場する一般公式戦では、女流棋士やアマチュアが出場できる限られた枠が設けられている。そこで一定の好成績をあげると、棋士編入試験を受験する権利が与えられる。試験は五番勝負で、新鋭の棋士5人を相手に3勝をあげて勝ち越せば、合格となる。
2024年から25年にかけて、西山さん(当時29歳、女流三冠)は棋士編入試験を受験していた。西山さんが棋士に昇格できるかどうかは、社会的にも大きく注目されるトピックだった。
2025年1月10日。蛸島教室にテレビ局の取材陣が訪れた。取材の趣旨は、女流棋界のレジェンドである蛸島さんに改めてスポットライトを当て、西山さんや現在の棋界について尋ねようというものだった。私もテレビ局から協力を求められ、古い資料などを持参して、蛸島教室を訪れていた。
その日も教室はにぎわっていた。女性の生徒さんが多く、中には高校生の頃から四十年以上もの間、通い続けているという方もいた。
蛸島さんは女流棋界の第一人者として、テレビなどのメディアに登場する機会も多かった。一方でアマチュア、特に女性への普及活動にも地道に取り組んできた。それは誰しもができることではない。
2025年1月22日(水)。西山女流二冠の棋士編入試験・五番勝負、最終第5局がおこなわれた。相手は柵木幹太(ませぎ・かんた)四段。対局場は大阪・関西将棋会館だった。
ここまで2勝2敗の西山さんは勝てば合格。敗れれば不合格という状況だった。対局は、ネットで中継された。終日、ずっとこの歴史的な対局を観戦されていた方は多いだろう。また平日なので、仕事や学業の間、ずっと気になっていた、という方もまた多いだろう。
その日私は、午後から都内の蛸島さんの自宅にうかがって、蛸島さんと一緒に観戦をしていた。
中盤、駒がぶつかって戦いが始った頃。形勢は少し西山さんが不利に見えた。私は普段、どちらかの観戦者に肩入れして観るようなことは、ほとんどない。しかし、この一局だけは――。私がノートパソコンを広げ、最新の将棋AIで読み筋を追っていたときに、ふと蛸島さんは、そう言った。
「西山さんは姿勢がいい」
盤上の駒の動きばかりを見ていた私はそう言われ、改めて西山さんの姿を見た。なるほど、ぴんと背筋を伸ばして姿勢がいい。そしてこの大一番で、涼やかな顔をして盤の前に座っている。
一方の柵木四段の方は身をよじるように、前のめりになって考えている。こちらもまた、必死で戦う棋士の姿だ。
終盤、西山さんは追い込んで勝敗不明の状況となった。蛸島さんも私も、息をするのも忘れたように、黙って対局の推移を見つめていた。
西山さんに、はっきりとした悪手があったようには見えなかった。しかし相手は強かった。形勢はやがて、はっきりとしてきた。
135手目。柵木四段は西山玉に王手をかけた。手数はかかるが、これで詰んでいる。記録係の秒読みの声が響く中、蛸島さんが小さくつぶやいた。
「指して!」
西山玉に詰みがあるのは、蛸島さんもわかっていた。でもそう言わずにはいられなかったのだろう。
西山さんは次の手を指さなかった。ずっと背筋を伸ばしたまま戦い続けた西山さんは、ここで深く一礼。「負けました」と告げ、潔く投了した。熱戦の余韻を残した、美しい投了図が残された。
私はしばらく、蛸島さんの心底残念そうな顔を見つめていた。やがて蛸島さんが口を開いた。
「惜しかった・・・。でも西山さんがまだ若いから・・・。またチャンスはあるよね」
蛸島さんはそう言って笑っていた。
もし西山さんがこの日勝利を収め、棋士に昇格していたら、蛸島さんにはマスコミからの取材依頼が殺到しただろう。しかし、蛸島さんの携帯電話が鳴ることはなかった。
テレビ局が撮影した映像もまた、テレビで放映されることはなかった。女性初の棋士が誕生するその日まで、使われることもないのかもしれない。
将棋教室での取材でテレビカメラの前に立つとき、蛸島さんは長く教室の運営を手伝ってくださっている女性に尋ねた。
「私、髪がボサボサじゃない?」
女性は笑って言った。
「あら、素敵よ」
そうして微笑み合う二人の姿は、私の目には、長く続いていくドラマのワンシーンのように見えた。
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